![こちらも池に面した部屋を「房川(ぼうせん)」](https://image.jimcdn.com/app/cms/image/transf/dimension=1070x10000:format=jpg/path/s0c3d9d633d6e9cc5/image/i234138b64e8b9704/version/1717292345/%E3%81%93%E3%81%A1%E3%82%89%E3%82%82%E6%B1%A0%E3%81%AB%E9%9D%A2%E3%81%97%E3%81%9F%E9%83%A8%E5%B1%8B%E3%82%92-%E6%88%BF%E5%B7%9D-%E3%81%BC%E3%81%86%E3%81%9B%E3%82%93.jpg)
こちらも池に面した部屋を「房川(ぼうせん)」と名づけました。
「房川」は、旧栗橋町に在った房川渡中田御関所(ぼうせんのわたしなかだおんせきしょ)に由来します。
利根川橋のたもとに「栗橋関所趾」の石碑が建てられています。
この関所は、寛永二年(1625年)に対岸の中田宿との間に設置されたもので、日光街道唯一の関所です。
幕府は北の警固を目的に、利根川には架橋しませんでした。将軍の日光社参の際には、臨時の船橋が設けられました。
関所は、明治二年(1869年)に廃止されました。
通交は渡船で行われていましたが、大正十三年(1924年)利根川橋の開通により廃止されます。
当時の関所跡は、その後の河川改修の結果、現在川底となっています。その名残として、栗橋関所趾の記念碑が往事を偲ばせています。
4名様から12名様